臆病なのでまず予防線を張っておきます。
考察っぽい雰囲気を出していますが、まとまりもなければ明確な結論が出ているわけでもないです。 そもそも学がないので、学術的な論拠が出ることもなく、ただ個人的な違和感を表明してちょっと考えましたくらいの内容です。こういう表現を見た時にいつも引っかかるので、頭にあることを一度言語化しておきたいと思い書きました。
なお、タイトルには二次元と書いていますが、私は二次元美少女のオタクなので基本的に二次元美少女の話しかしません。
ことの始まり
「2.5次元の誘惑」という作品名を見て、ふと疑問に思いました。この作品世界において「二次元」とは何を指すのでしょうか?
現実で過ごす我々にとって、現実の女性と二次元美少女のギャップは大きいです。我々が二次元として見ている世界で「二次元」を語られても、「どっちも一緒なんですが?」というのが引っかかってしまい、受け入れ方がわからないな〜と思っています。
ちなみに、着想自体はその作品から来ていますが、「2.5次元の誘惑」自体は一例に過ぎないので、この記事中では作品の内容の話はほぼしません。実際、作品の中で今回の題材についての答えは出てこないと思っていて、似たような設定が出てくる他作品でも同じようなことが言えるような話でもあります。
なので読んだことがなくても大丈夫だし、実を言うと私もないです。とはいえ一応どういう作品か知っておこうと思って調べたら、Wikipediaにあらすじ全部書いてあってにごリリ完全に理解しました。いいのか?これで…。
前提:二次元美少女は人類とは別の存在?
これは強めの思想かもしれませんが、私はそもそも二次元美少女というものが、我々が普段目にしている人間とは異なる存在であるという前提で考えています。二次元美少女が普遍的に存在する世界で人が生きるのであれば、その世界における人間そのものに対する認識や文化などは、我々が人間に対して感じているものとは異なってくるのではないでしょうか。
「人間に対して目が大きすぎる」とよく言われるように、人間と似た形をしているが、人類とは異なる人体構造をしていたり、ツンデレキャラのような行動は基本的に現実には存在しないなど、今回の話をする上では、見た目も行動様式も人類とは別の存在として考えたほうが適切だと思います。そのうえで、その世界における人や行動への認識は我々のそれとは別として考えたほうがいいよね、というようなことを書こうと思います。
二次元世界の「標準」について
ここで重要なのは、ヒロインとして登場する美少女はその作品世界では「標準」であるという点です。我々から見れば美少女に見えているキャラクターも、その世界では(ヒロインとして多少上位に位置するとしても)標準レベルの容姿・性格として認識されているはずです。美少女が普通の人間として当たり前の世界。
例えば学園モノなら、主人公から見たヒロインは我々が認識する「二次元美少女」としてではなく、「単なるクラスメイト」として見ている程度となります。アイドル兼学生のような特殊な設定でもない限り、特別に優れた存在として見るような描写もないでしょう。
作品世界における「二次元」とは
本題に入ります。もし我々が二次元キャラとして認識している存在が、その作品世界では普通の人間だとしたら、その世界における「二次元」とは一体何なのでしょうか?
言葉通りに捉えれば、本やモニターの中のフィクションが「二次元」として認識されているということになりますが、もう少し掘り下げてみます。
「2.5次元の誘惑」を例に取ると、天使であるリリエルのようなファンタジー要素を持つキャラクターが「二次元」として描写されています。学園モノのようなファンタジー色が薄い世界観から見て、魔法や天使といった非現実的要素を持つ存在が「二次元的」と認識されているようです。確かに非現実的存在は二次元らしさを強く意識させるもののように思えます。
「二次元らしさ」を構成する要素
ではそれ以外に、どのようなものが「二次元的」を感じさせるのでしょうか。
個人的な感覚に過ぎないのですが、現実をベースにした作品世界でも、強いキャラクター性を持つ振る舞いは演技であると認識されがちな気がします。例えば「ふぇぇ」や「〜なのです」みたいな表現が出てくると「二次元的」に感じます。(例に挙げたものが古いのは認めます)
もっと言うと、身振り手振りが極端だったり、コミカルな振る舞い全般は演技色が強めという印象になるかもしれません。ただし、認識のライン次第ではその世界における標準に含まれるレベルかもしれません。
物理法則的な部分も気になります。例えば、ジト目や>< 目などの極端な表情変化、怒ると頭から湯気が出たりする表現。我々から見れば明らかに「二次元的表現」ですが、その世界の住人にとってはどうなんでしょう。日常的な現象なのか、それとも「マンガみたいだね」と言われる誇張表現なのか。そもそも認識していない可能性もありますが。
あと、お約束的な行動パターンについてもどのように見えているのでしょうか。パンをくわえて走って角でぶつかるとか、屋上でお弁当などなど。その世界でも「ベタすぎる」と思われるのか、普通の行動として受け入れられているのか。この辺の線引きが、その世界の「リアル」と「フィクション」の境界を考える上で重要な気がします。
フィクション世界の標準を探る一方で、現実から考えるパターンとして、ラジオで見るような声優本人の人間らしさ・キャラクターの演じ分けのような、パフォーマンスとしての「二次元性」というものは考える余地が一定あるのかもしれません。ただ最近はVTuberの台頭で、この辺の境界も曖昧になってきたようにも思えます。
あとがき
こういう表現っていつも引っかかるんですが、どうやって解釈するのがいいのかな〜という話でした。結局わかってないので有識者ヒントください。
ちなみに、書いた後でAIに深掘りするために何を学ぶのがいいのか聞いたら、メタフィクション論や記号論がおすすめと言われました。全然知らない世界ですが、その辺を学んでもう少し考えてみようと思います。
最後に書いた感想について、ゲームの感想とかは書くことが決まってるので書きやすかったのですが、今回は自分でも言いたいことがよくわかっていなかったので結構頭を悩ませました。あと、もしかしてブログってそういうことを書く場所なのでは?ということに気づきました。みんな頑張ってるんだなあ…。